2021/12/06

空間オーディオ制作のためのバイノーラル比較



Dolby Atmosの作品制作が増えてきました。

しかし当面最も多い視聴環境はヘッドフォンやイヤホンによる空間オーディオではないかと思います。
ソニー 360 Reality Audio(以下360RA)もヘッドフォンが主戦場です。

そうした中、制作の段階でヘッドフォンでモニターするケースが増えています。
なんならイマーシブオーディオ再生環境の整ったスタジオに入る前のプリMixを、ヘッドフォンで行う人もすでに沢山いる事でしょう。

そこで問題となるのが
今回はAtmosだから、360RAだから、とそのフォーマットで用意されているバイノーラル機能を何も疑うことなく使用してMixしてしまうことです。
それまで触れたことの無い人にとっては、バイノーラルというものはすべて同じ音と思っているのかも知れません。
空間オーディオのための納品として、Atmosも360RAもバイノーラルの設定を細かくする必要があるなど、そのフォーマット付属のバイノーラル機能を使わざるを得ないケースはありますが、少なくともプリMixの段階ではその必要はありません。

360RAのMixをAtmos RendererのバイノーラルモニターでMixしてもいいのです!(いいのかなぁ?w)

必要なのは、仮想スタジオ環境です。
つまりヘッドフォンに、出来る限り良い試聴環境を構築したい。
音響特性の優れた部屋に、特性の良い、あるいは音の良いスピーカーを並べてMixしたい願望。(だからと言って本当のスタジオのIRを使うというのは間違った思考)
それをヘッドフォンに構築することを目的とするならば、バイノーラルプロセッシングが何でもいいわけはありません。
上手くするとリアルスタジオ環境よりも良い環境をヘッドフォンに構築できるかも知れませんよ。


また各フォーマットのバイノーラル機能の特徴を知ることで、空間オーディオを納品する際のバイノーラル設定にも役立つかも知れません。


そこで今回は、Dolby Atmos Renderer、360 Reality Audio Creative Suite(以下360RACS) 360 WalkMix Creator の両バイノーラルプロセッシングを、HPLと比較しつつ基本性能とその特徴について検証しようと思います。

基本性能を見極めるということで、声とピンクノイズの音源だけで行います。
仮想モニター環境としてのスピーカーフォーマットは、AtmosのBedに合わせて7.0.2にしています。

Front L/C/R
Side L/R
Back L/R
TopSide L/R

それぞれの角度に関しては、各社で微妙な違いはあるものと考えますが、基本的にはFrontは30度、Sideは90度、Backは135度に左右開いています。
Topは360RACS 360 WalkMix Creatorでエレベーション45度にしています。
Atmosも同じくらいだと思います。
HPLは40度くらいかも知れません。

NovoNotes 3DXのUIを借りて見るならこの様なスピーカー配置です。




今回の検証では角度の違いはあまり重要ではなく、空間のMixに重要となる奥行きや空間性などの立体感を知ることを重視しています。


ではまず使用する元音源を聴いてみましょう。

ヘッドフォンまたはイヤホンをご用意ください。
Front Leftから順に時計回りでスピーカー配置を読み上げ、短くピンクノイズを入れました。モノラル音源です。

※ブラウザのプレイヤーで再生される音源ファイルはMP3(320kbps)です。
download linkの音源ファイルはWAVファイルとなっています。
MP3は空間情報が削られてしまいます。
より正しい比較はダウンロードしたWAVファイルで行ってください。







それではバイノーラルで試聴していきましょう。

この後の音源はすべて同じですが、
Atmos、360RA、HPLの順で再生されます。

Front Leftから時計回りに7か所、そしてトップの2か所で1周。
それを、Atmos、360RA、HPLと順番に計3周します。
ここではなんとなく、元音源との違いや、立体感(空間)などを漠然と聴いていただければよいかと思います。







Atmosは比較的音色の変化が少なく思えます。
Atmos Rendererにおいて自由に配置されるオブジェクトに対し一つずつバイノーラルプロセッシング行うために軽い処理が強いられ、そのため空間までを付けようとはせず、なるべく軽い計算で行っていると推測します。
軽い処理にすると音が悪くなると思いますが、それは空間のIRを畳み込む場合の話で、そうでなければ音色変化が無くかつ軽い処理でのバイノーラル化はできます。
ただその場合はリアルに近い空間を持たせることが出来ないので、結果前後の奥行きが無く、空間としては左右に広いだけの音場になってしまいます。
推測なのでAtmosのバイノーラルがその手法なのかは分かりません。

360RAは特徴的な音です。
Atmosよりも奥行きの距離感を感じることが出来るので、ヘッドフォン再生環境のみをターゲットにしている360RAとしては、音が変わっても立体空間であることを重視したのかも知れません。
ただ、奥行きはありますが空間が無い、そんな印象を持ちました。

HPLは、最初に書いたような音響特性の優れた部屋に特性の良いスピーカーを並べてモニターする状態を目指しているので、空間が加わりその分元音源からの変化があります。
そもそも音源をスピーカーから再生した音は音源とは変わりますし、ヘッドフォンで再生した音とも異なるので、HPLでは自然な変化であればそれを良しとしています。
それよりも空間的なバランスを重視しているため、前後の奥行きと左右の奥行き、そして高さに関しても他の2つより整っています。
全部のスピーカーが鳴り音楽となった時には空間でのバランスが重要なのです。
Atmosは変化が少ないと言いましたが、この試聴では空間の無いヘッドフォンで元音源と比較しているので、元音源のスピーカー再生と比較したら変化して聴こえるはずです。

とりあえずこの3つの違いを何となく感じておいてください。
この後、細かく比較します。


次はFront Leftの音にだけ注目してみます。

やはり同じ順で、Atoms、360RA、HPLと今度はそれぞれ4回ずつ繰り返します。
ここからはループ再生にして何度も繰り返し繰り返し連続して聴いて見てください。
それぞれの特徴がどんどん見えてくると思います。








Atmosが殆ど前方に奥行きを作れていないのに対し、360RAは奥行きを感じることが出来ます。
何か凄くフォーカスを絞って距離を作っているような不思議な音です。
一旦残響を付けておいて奥行きを出したあとで残響を取り除いたかのように、奥行きはあるけど空間は無い? と言った感じ。
HPLは空間があるから奥行きがある、という自然な感覚がありますが、360RAはそれとは種類が違うようです。

距離が作れている360RAとHPLの横軸の定位が似ているのに対し、距離を作れていないAtmosはより左に定位して聴こえます。


次にFront Centerを聴いてみましょう。

よくバイノーラルで真正面は難しいと言われています。
実際はどうなのでしょうか?

この試聴では、最初に元音源を4回、その後でAtoms、360RA、HPLと再生します。








元音源、つまり普通のモノラルとAtmosの定位、あまり変わりませんね。
何度もループ再生して聴き込むと、僅かに奥行きを作れていることに気付きます。

360RAとHPLはAtmosより奥行きがありますが、HPLはより音像がスッとセンターに整うと思います。
360RAの音は不自然な印象です。
奥行きはありますがセンターの芯が無いと言うか...


さてここで、先ほどAtmosは音色変化が少ないと言いましたが、実際に周波数特性を見て見ましょう。

一つ目は、元音源のピンクノイズ部分です。



音源自身の周波数特性なので当然フラットです。

それではAtmosです。



空間が無いので元音源のように低域から1kHz位までフラットです。
バイノーラル処理後の音としては不自然なくらいフラットですw
5kHzあたりから緩やかに下がりはじめ、音も実際にそうした傾向なのですが、なぜか10kHz過ぎてから不自然に持ち上がっています。
これは何でしょうか?
高域が劣化していると思わせないための対策でしょうか?


続いて360RA



360RAは1kHzから下が弱く、そのため2kHzから上の音が目立って聴こえます。
300Hz以下が安定しないのはHPLも同じですが、360RAの方がその傾向が強く、全体的にバイノーラルのための処理を色々とし過ぎているのではないかと推測します。
もしかしたら推奨ヘッドフォンに合わせたチューニングなのかも知れません。
360RAもHPLも10kHzより上にいくつかのディップが出来ますが、これはバイノーラルの特徴です。


最後にHPL



HPLは300Hzより上は大変安定していると思います。
これがリアルな部屋で測定した結果だったら、結構いいと思います。
高域が5kHzより緩やかに下がっていくのも自然です。
ヘッドフォンの中に良いスピーカーサウンドを作ろうと言うコンセプトが見て取れます。
リアルな部屋だったら、高域がもう少し伸びていて欲しいかも知れませんが、ヘッドフォン再生はスピーカーよりも音がよく聴こえるため、これくらいで丁度よい高域特性だったりします。


試聴に戻りまして

続いてSide Leftです。








360RAだけ90度に聴こえません。
100度~110度くらいに聴こえます。
360RACSで設定を確認したのですが、その理由が分かりませんでした。
90度にしているのですが、何故か音は90度ではありません。

AtmosとHPLは真横から聴こえます。
Atmosは少し上に定位していますね。

360RAはAtmosに比べて奥行きがあるのが分かります。
HPLも同じ奥行きでさらに真横にビシッと定位しています。

この360RAの傾向はBack Leftでも同様で、AtmosとHPLは135度っぽい定位なのですが、360RAは150度くらいに聴こえます。







何かの設定に誤りがあるとしたらすみません。
始めに言った通り、今回の検証では角度の違いはあまり重要ではなく、奥行きや空間性などの立体感を知ることを重視しています。
とはいえ、360RAのBack Leftはズレ過ぎだと思いますが。
 

最後はTopSideLeftです。








Atmosは高さが出ていません。
AtmosのSide Leftが少し上に定位してしまっているので、それと比較して違いがないです。
AtmosのBedのTopが仰角何度なのか?
Mix時、高さを出したいのであれば、Topの音はすべてオブジェクトにした方が良さそうです。
ただバイノーラルの仕組みが変わるわけではないので、高さは出ないかも知れません。
前方や後方にずらしたり、左右を狭めたり、高く聴こえように錯覚させるMixの工夫をすれば良いかと思います。

360RAはTopSideLeftも少し後方にずれています。
そのせいもあり、より高い位置に定位して聴こえます。

HPLは真横の上に定位しています。
Atmosと同じ位の高さに聴こえる人もいる思いますが、HPLのSide LeftはAtmosよりも低い位置になるので、それとの比較で高さがあります。



一通り聴き込んでみました。
色々と分かってきたと思いますので、ここであらためて最初の音源を聴いて見ましょう。
Front Leftから時計回りに7か所、トップに2か所。
それを、Atmos、360RA、HPLと順番に計3周します。








いかがですか?
だいぶ印象が変わったのではないでしょうか?

まず、
恐らくすべてのフォーマットにおいて立体的に聴けるようになっていませんか?
自分が立体音場に対峙する準備が整ったのだと思います。

Atmosのバイノーラルと360RAのバイノーラルでは、Mixする際にかなり音の印象は異なりそうですね。

360RAのキャラクターで作っていいのか?
Atmosの立体感の少ない音場で作れるのか?

いかがでしょうか?

今回は1音源での比較を行いましたが、これがマルチチャンネルになれば小さな違いもとても大きな違いとなって作品に現れます。
特に空間の生成は各chからの音の総合的なバランスなので、大きな差となります。


さて、最後にオマケ

Atmos Rendererのバイノーラル設定にある、モードのNear/Mid/Farについて試聴してみたいと思います。
モードを切り替えた時に、反対側からの反射を聞き取りやすいBack Leftで試聴してみます。








聴いて分かると思いますが、モードの切り替えによって奥行き感が変わることはありません。
Near/Mid/Far、音の定位はどれも同じで、後付けで空間系リバーブを足しているような音です。
ですので、近い、中間、遠い、と音像が変わるのではなく、部屋が、小、中、大、と変わるだけです。その部屋も空間感はあまりありません。

これをMix時に使うと言うのは、他のリバーブと喧嘩することになるので止めた方がよいように思えますが、どうなんでしょう?

そして初期設定がMidになっています。
必ずリバーブが掛かってしまうので、Nearにして使うことを僕はお勧めします。


以上ですが、いかがですか?

今、イマーシブオーディオの制作をされる方は、恐らくAtmosも360RAも両方試されているのではないでしょうか?

今回は僕の思う一つの検証方法を実行しました。
皆さんも各々のやり方で検証してみてください。

知っていればなんとかできるのがエンジニア。
あとはお任せして、僕はこの検証が良い作品作りに役立てば嬉しいです。


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