庭園へ向かうため受付の建物を出た途端、ポーーンと遠くから電子音が微かに耳に届き足が止まった。
そこがいつもの万象園では無いと気付かされワクワクしてくる。
庭園へ入るに連れ音は明瞭になり、はっきりと聞こえるようになった辺りでまず鈴木昭男氏の《観測点星》に迎えられる。
考えてみれば初めて本物の点音(おとだて)プレートに立つ。
点音プレートカッコいい。欲しい。
普段生活している環境で音はサラウンドである。
そのことを分かりやすく優しく教えてくれるのが点音。
耳を澄ますわけだが目を閉じてはいけない。
目を閉じたらその場所の音とは言えなくなる。それが点音に対する自分流の解釈。
ここから先はどう周ってもいいのだが、受付で渡させる作品の場所を紹介するMapに記載された順番、1→A→B→C→2→D→3→Eの順で巡ってほしい。
映画のように考えられたストーリーがあり、より作品を楽しめる。
広い庭園内に作品は点在するが音は途切れることがなく、全体が一つの作品であることが分かると思う。
それは音ならでは。
現地で人それぞれに感じればよい事なので、一つ一つの作品については特に感想を述べない。
《Atomos Crossing》のスピーカーの近くには鯉。
《Artificial Storm》には蝶が作品に寄り添っていた。
庭園を歩きながら自分の思う点音ポイントを探すのもお薦め。
鈴木昭男さんとコラボしている気持ちになれる。
そんな機会はそうは無い。
庭園のような綺麗な場所では綺麗な音を求めがちだがそれは違う。
点音ポイントでは、場所によっては庭園の外をトラックが行きかう音がすぐ後ろで聞こえたりもするが、それも作品の一部。
あらゆる音が今ここにある環境音でありサラウンドなのです。
そしてどの点音でもevala氏の音がその一部となっている。
クライマックスは日本最古の煎茶室での《Anechoic Sphere - Reflection/Inflection》
茶室は無響室では無いが、ICC無響室の《大きな耳をもったキツネ》を体験した人ならそのシリーズであることがうなづけるはず。
聴象発景すべての作品に共通でありこの作品にも言える事。
いつまででも聴いて居られるし、いつ終えてもいい。
個人的には、事前に音響調整した際まだ作品は出来ていなかったので、この部屋で必要となるだろうサウンドを想像しながら調整したのだが、それが見事に活かされた作品に仕上がっていたことがうれしい。
散歩の最後は松帆亭の点音でエンドロールを。
ここでもう一度茶室に戻りたくなるかも知れないが止めておくべき。
もう二度と体験出来ない作品は、一度の体験で留めておくのが作法かも知れない。
今しか体験出来ないなんて本当にもったいない話だが、また次に別の作品でさらに楽しませてくれるはず。
こちらの想像を超えてその期待に応えてくれるサウンドアーティストは他に居ない。
最後に
庭園内で作品展示を知らずに美しい庭園だけを見に来ている人に会うと、耳を会話からインフォメーションを得るためにしか使っていないことが良く分かる。
景色を目でしか見ていない。
目からの情報だけだから、池があり、橋があり、木があり、空があり、キレイ、みたいに。
実際の景色をあまり見ず写真に収めることに忙しくなるのも頷ける。
その場所で耳も澄まし、見えていない音を聴く。
さっき目にしたものを思い出し、この先にあるものを想像することで、景色は立体化する。
それを今回再認識できた「聴象発景」だった。
聴象発景 - evala (See by Your Ears)、鈴木昭男
中津万象園・丸亀美術館
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