2023/03/26

鈴木竜 × 大巻伸嗣 × evala『Rain』の音響



の愛知県芸術劇場公演の音響システムについて解説します。

と言ってもよくある機材のモデルやシステム構成とその仕様を並べるのではなく、See by Your Earsテクニカルディレクターの公演本番までの作業の流れを中心に解説します。


まず、evala氏からの公演の話に二つ返事でOKを出した後、初めに気になるのは「どういうサウンドになるのか?」です。
これは本番間近になるまで頭からは消えません。

evala氏からヒアリングしつつ必要な準備を必要なタイミングで進めるべく、アーティストと劇場、あるいは音響スタッフとの間に入り通訳となるのがテクニカルディレクターの主な仕事となります。

アーティスト ⇔ 通訳 ⇔ 音響設備

初めの段階では何も公演の内容が決まっていないに近い状態なので、いくつかのワードからシステムを考えていきます。
・コンテンポラリのダンス公演
・舞台美術が特徴的
・愛知県芸術劇場 小ホール
・愛知県芸術劇場での初演後いくつか巡回公演がある
・日程3月6日~12日(うち本番11・12日)
・「ダンス公演でいまだかつて無いような音にしたい」というアーティストからのお言葉

など



さて、

愛知県芸術劇場小ホールは一度経験があるのでシステム構築のイメージは比較的しやすいです。
とりあえず使用できる機材のリストを入手しスピーカー配置を考えていきます。

この段階ではまだ細かなことは決められないので、まずは作りたい音場の方向性をevala氏からヒアリングしてそれを実現するためのスピーカー配置を考えます。

立体音響の場合、まず大きく2パターンあると思います。

①ステージ側からの音がメインで、それ+客席側に立体音場を作る
②客席側で積極的に立体音場を作る

ブログ記事「立体音響システムの考え方 - 「Sea, See, She - まだ見ぬ君へ」編」の中で、2016年の「MARGINAL GONGS」森永泰弘のスピーカー配置を解説していますが、それは②のパターンです。

客席側での立体音場を重要視したので客席を8chキューブ配置で囲っています。





客席側でしっかりと8chキューブ配置にし、さらに舞台美術にあわせてセンタースピーカーだけでなくステージの後ろ側にもスピーカーがあり、客席側と客席から見てステージ中にも音場があるような音響効果を考えた設計となっていました。

しかし今回のRainでは、そうした音響効果を狙うというよりは、ステージ上でのダンサーと美術との絡みを全体的に包み込むサウンドにしたいという話。
それと巡回することを考えるとどの劇場でも成立するようにL/Rステレオを軸とする①の方向で進めるのがよいと思います。

そうした決断もすぐ出来るわけではなく、定期的に何度かヒアリングする中で徐々に煮詰まっていく感じです。


最終案までいくつかスピーカー配置は変更してきたのですが、ここで2つの案を比べてみましょう。

本番1か月くらい前ではこのような案でした。





いつもそうですが、客席に対してなるべく広くスピーカーを配置したいと考えています。

d&b 10S-DのL/C/Rをメインとしてしっかり鳴らし、サラウンドは柔軟性を持たせるためにNEXO PS8Uを4台と、シーリングに常設されている16台のd&b 8Sの内の4台とで8chキューブに近い配置を組んでいます。
スピーカーはすべて劇場の機材になりますので、その劇場にどんなスピーカーがあるのかは重要ですね。
フロントメイン+8キューブ、RITTOR BASEもそうであるようにバランスがよく音も作りやすい構成です。
これを組めれば大抵の作品にマッチし失敗もありません。

ただ、ホールの場合はボトムにはスピーカーを配置出来ない場合が多く、本来ボトムにあたる4chも頭上の高さにはなるのですが、その場合でも作りやすさは維持されます。
例えば、PS8Uの4台と8Sの4台によるパンニングは、NovoNotes 3DXの8chCube出力モードが使えますし、Ambisonicsも使いやすいです。
PS8Uの4台、8Sの4台、それぞれを4chスクエアとして扱いパンニングするのも簡単です。

しかし、本番で使用することになったスピーカー配置はこちらです。





構成としては一般的なL/C/R/SL/SR/BL/BRの7ch +ハイトの4chスクエアというものです。

この様になった理由は、
常設の10S-Dが移動禁止であったこと。
この10S-Dは片側2台ずつでL/Rのステレオになっており、客席に向かってしっかりと調整されているからです。(実際とても良かった)

それにより、8chキューブのフロント側として配置しようとしていたPS8Uと10S-Dがほぼ同じ位置になってしまうため、メインとして鳴る10S-DにPS8Uからの出音が食われてしまう可能性が高くなってしまいました。
ではPS8Uから出す音を10S-Dから出すかというと、メインのchとは分けた方が使いやすいため、だとしたら8chキューブは諦めてサイドに持ってきた方が使いやすいかなと考えこの様になりました。

トップセンターも手前に移動していますが、これは元の位置だと美術と被る可能性があり、それが現地で美術が完成してみないと分からないため、現地での時間のロスを避けるために手前にしています。
元々はセンタースピーカーを強力に使うかもしれないなと思っていたのですが、この本番1か月前の時点ではそれも無さそうだったので、移動することができました。
こうした変更は随時アーティストと相談のもと行ない、その後劇場側へ可能かどうかを確認します。


スピーカー配置の検討の他に、スケジュールも早くから舞台監督へ相談します。

通常の現地での搬入設置の流れだと、搬入→設置→配線→回線チェック→音響調整の時間は、舞台監督の方で照明や美術との作業進行との兼ね合いでスケジュールを組んでいただけますが、立体音響の場合、現地に入る前にプリMixした音を実際のスピーカー配置で鳴らしてから仕上げる作業が必要になります。
そのことは事前に舞台監督へ伝えておかないとその時間が確保されません。
作業は本番音量で行うので、美術や照明の作業を止めて音だけの時間が必要です。
この時間が長ければ長いほど作品の仕上がりはよくなるので、何とか多く確保したいところ。
とは言え、2日も3日も使えるわけでは無く頑張って5~6時間です。
その中で、Rainであれば70分もある全編の立体音響Mixを高いレベルで仕上げるのは、evala氏にしか出来ないことだと思います。
高いレベルで無くても普通は仕上がらないかも知れません。
だから経験が必要なのです。


現地入りする前に、他にも色々やることがありますが、長くなってしまうので割愛します。
例えばスピーカー配置が決まったら、常設以外のスピーカーを何台使うかによって、設置にかかる人数を割り出し音響スタッフの手配をお願いします。そこは予算にも関わる話になります。
僕の場合、立体音響でもスピーカー数は少なく設計しているので、人数を多くかける必要は無くリーズナブルです。



いよいよ3月7日(火)、愛知県芸術劇場入りです。
持ち込み機材は手持ちでいける量で、その他はすべて劇場機材であるため搬入はありません。

劇場音響スタッフさんとヘルプでお願いした乗り込み音響スタッフさん1名に、スピーカー配置図を見せながら設置の段取りを決めていきます。というか決めてもらいます。

実際にスピーカーを設置してみて、客席との距離感などを見ながらスピーカーの位置と向きを調整します。
また後で直すかも知れません。



     リアの右                                                           トップセンター



スピーカーの設置が一通り終わると、持ち込み機材の設置と卓周りのセッティングに入ります。

今回のシステムはこの様になっています。





劇場側はDanteで接続できる仕様なので、通常は劇場側のHubに自分のシステムもevala氏のシステムも繋ぎ込めばよいのですが、わざわざ自分のシステムだけをDanteに接続し、そこへevala氏のシステムをMADIで接続する仕様としました。

その理由は、
evala氏はMac Book Proとオーディオインターフェースをセットで持ち歩き、空き時間に楽屋で作業するかもしれない、ホテルで作業するかもしれない、そうした状況が考えられたので、いつでも劇場のシステムから切り離せる、またevala氏のシステムが無くても自分のPCから音が出せる仕様にしておくためにちょっと複雑な構成にしています。

また、この後evala氏は客席での作業となるため、上の階層にある音響ブースの自分のPC+オーディオインターフェースからケーブルを引くことになります。
ちなみにMADIのオプチカルケーブルの方が軽いので荷物は楽です。





RME Digiface DanteをDanteとMADIの双方向フォーマットコンバーターとして使っていますが、ここはMVR-64 multiverterで置き換えできますね。
その方が安心なのですが、今回は録音をするためもう1台PCを接続する必要があったのと、荷物を減らしたかったのでこの様にしました。


美術、照明の設置が一段落したころに音響調整時間(今回は”調律”と呼ばれていた)が1時間設けられました。

この1時間で音を整えアーティストへ渡す。
ここが山場です。

調整方法に関しては、
立体音響のそれとして自分の経験から行なっているので一般的ではないかも知れません。


客席の中心辺りにマイクを立てます。
マイクはerthworks M30を使用しています。

ピンクノイズで各スピーカーからの特性を見るのですが、そこで追い込むことはせず「こんな感じかぁ」と眺めて極端に悪いところがあればそこだけEQする程度にします。

やるべきことは、アーティストが作りやすい音響空間を用意し渡すことなので、周波数特性をフラットにすれば良いわけでも、積極的に音作りをして良いわけでもありません。

evala氏の場合は特にサウンドを本人が仕上げるので、なるべく何もしないで渡したい。
渡したときに「いい音」「作れそう」と感じて貰うことがなによりです。


それから低域はカットしますが、今回はいつもと少し変えました。

通常多数のスピーカーを使用する立体音響の場合、それらのスピーカーでローがもの凄く鳴る必要は無く、スピーカーが多い分膨らんでしまわないように、バランス重視でローは控えめにして調整します。

しかし今回はL/Rをメインとした音作り、そして巡回を考慮した時に、ある程度L/Rステレオでローまで任せた方が良さそうかなと思い、最終的に35Hzの24dBoctでローカットになりました。
この値はこの後音楽再生で音を確認した際に決めた設定です。
もちろんこれは鳴らす音やスピーカーの特性にもよります。



左のMac miniでピンクノイズのジェネレートとSIR Audio ToolsのSpectrumAnalyzerで解析
右のMac Book ProでMac miniをリモート表示し客席に降りて調整する



その次はレベル調整
マルチチャンネルなので、スピーカーを順番に鳴らし急に大きかったり小さかったりバラつかないようにします。

これも測定すればdBを揃えることはできるのですが、没入感の高い作品であれば、すべてのスピーカーを同じ音量で鳴らす方向に調整するのですが、フロントがメインの作品であればフロントL/R基準としてそれよりリアは少し小さめ、サイドのスピーカーの音は目立つのでさらに小さく調整します。
ハイトのスピーカーも少し小さめです。
“少し小さい”の”少し”がどのくらいなのか、は会場によるので測定値で示せるものではなく聴いた感じで決めるしかありません。
基本的には、それらの差が極端にならず各スピーカーが滑らかに繋がるよう音量調整します。




この様にスピーカー自体は四角に設置されていますが、音場としては円をイメージして音量調整しています。
その方が音の繋がりが良く、空間が一つの立体音場となりやすい。





また、リアのスピーカーは客席と近くなってしまうケースが多いので、そこからの音がうるさいと感じることのないようにも調整します。
それはスピーカーの設置位置の高さであったり、指向性を考慮して芯が近い席に向かないようにする、といったことで回避します。

NEXOのPS8Uは、指向性が上方に対しては狭く50度で下方には広く100度に設定できるため、そうした特性も上手く利用します。
複数のスピーカーで一つの立体音場を作る立体音響においては、各スピーカーの指向性は大変重要となってきます。

本来はすべて同じスピーカーであることが望ましいわけですが、中々それが可能な現場は自分たちで用意しない限り無いです。



1台ずつ鳴らしたら、次は2台ずつ鳴らしてみます。
フロントのL/Rで同じピンクノイズを鳴らすと、当然中心に居ればセンターに定位して聴こえますが、そこから中心をズレていったときにどの様な音の変化があるかを聴きます。
スムーズな変化であれば問題ないです。
客席を歩き回って確認します。


ある程度できたら音楽をかけます。
自分の腕のせいかも知れませんが、ピンクノイズで調整しただけで音がバッチリとなることはありません。
音楽を鳴らし、それがより良く聴こえるように調整します。

愛知県芸術劇場 小ホールのメインL/Rは、10S-Dが上下に1台ずつ組まれています。
これによりどの席もまんべんなく音が行き届いてる印象ではあるものの、音楽を聴くと何かパッとしない音になります。
音が悪いのではなく、2つ鳴っている感がどことなくありボヤける感じ。

なので下側だけのL/R、上側だけのL/Rでそれぞれ聴いてみました。
やはり個別に聴く方がスッキリします。





下側の10S-Dは主に前の方の客席、上側の10S-Dは後方の客席を狙っています。
通常はそれぞれ同じ音量に分配される設定となっているそうです。

しかし実際に音を聴いてみると、下側の10S-Dで殆どの客席をカバー出来ていて、後方3列分が少し高域が落ちて明瞭度が下がっているかなくらいの印象でした。

なので、下側の10S-Dをメインとし、それに対し上側の10S-Dを少しずつ足していき、音がボヤけず且つ後方の席もカバーされる音量となるよう調整しました。
良い配分になったと思います。


その後は、サイドのL/R、リアのL/R、トップのフロントL/R、トップのリアL/Rと順に音楽を鳴らしてみて、ここでは「こんな感じの音かぁ」という確認程度で済ませます。






最後にサブウーファーです。
サブウーファーはNEXO LS18

ここまで使用していた音源は、お馴染みのDonald Fagen「I.G.Y」。
スタジオだとよく使われる音源だと思いますが、僕は特別音が良いと思っている訳ではなく、丁度よい音質、丁度よいバランス、でシステムをチェックするのに丁度よいなと思っています。
この曲は、大概のオーディオシステムで聴いてそれなりの音で聴ける音源で、この曲を再生して悪く聴こえたらよっぽどだということです。

この曲をホールなどの広い空間で聴くと物足りないのですが、それを大きな音で鳴らしていったときに大味にならずに繊細なまま音量だけ上がる様な調整がしたいと思っています。

そしてサブウーファーを調整する時にだけ聴く音源がTOTO「I Will Remember」。
こちらはPAでお馴染み。

いつもこの2曲を使うのですが、
I.G.Yの低域が気持ちいいと感じる音量に調整し、I Will Rememberを再生すると物足りない。
I Will Rememberの低域が気持ちいいと感じる音量に調整し、I.G.Yを再生するとローが爆発します。
このどちらもいい音となる共通の音量がない2つの音源を使い、どちらに対してもいい音となるクロスオーバーポイントを探ります。
それだけ決めておけば、後は出したいように出せばよいので、作品を作りやすい状態として引き渡す目的は果たせます。





この様にして一通りやってOKと思ったら、evala氏に自分の音源を鳴らしてもらって最終確認を行ないます。
何か気になるところがあればそこをEQで調整します。

今回は常設L/Rの10S-Dがしっかり調整されていたので、チューニングの必要がなく非常にスムーズに立体音場の"調律"が進んだと思います。
結果予定の1時間でOKとなりました。


最終的な音量差はこのようになっています。
スピーカーの出力が違うので、あくまでもフェーダー上での話ですが。

卓は、YAHAMA QL5です。




ポイントとしては、

フロントL/Rは、下側に対して上側は約-10dB

サイドL/Rは、リアL/Rに対して-2dB
フロントトップセンターは、さらに-3.6dB

これで、聴感上スムーズな円としっかりとしたL/Rに調整できました。




ここまでで初日の作業は終了です。



翌日3月8日(水)は、朝からevala氏のMix(空間の作曲)の時間です。
ここは基本的に見守るだけですが、途中で気になるところは調整していきます。
また、evala氏からリクエストも出て来るのでそれに備えます。

リクエストが無くても空間作曲作業を聴きながら、それをサポートするような微調整は行ないます。

もちろんMix中にEQで音を変えられたら困るわけですが、
音は変えません。
ちょっと手を入れたら作りやすくなるであろう部分をそっとさわるだけです。

また、様々な席で実際に使われる音を聴きながら、問題が無いかを確認します。

EQは、SIR Audio ToolsのStandard EQをいつも使っています。
見てわかるように調整は"ちょっと"です。
EQよりも音量バランスの方が空間を作る上で大切だということです。



フロントL/RとサイドL/RのEQ



9日(木)
リハが始まって来ると、サウンド面の調整はほぼ無くなります。
替わって今回は録音もするのでマイクのセッティングを始めます。

録音は基本的にevala PCからのマルチチャンネルを録音するのですが、ダンサーの足音や息遣い、客席の拍手なども録音するために、SOUNDFIELD SPS200DPA ST4006Aを用意しました。

音楽がまったく無い時間もあるため、そこでSPS200による会場全体の空気感の音があれば使えるかなと。

レコーダーは、Mac Book ProでStudio Oneを使用。
サンプルレートはシステムに合わせるので48kHzです。(32bit float)







10日(金) 本番前日
本番に向けて、細かな作業と仕込みを行ないます。

本番のオペまでは無いものの、影アナの音源などいくつか自分のPCから再生する音源があったため、その音源の整音、実装、リハなど、ゲネプロまでに整えます。
音響プログラム、機材配置も本番仕様へ。
客席に設置していたevala氏のPCとオーディオインターフェースも音響ブースへ移動します。



左:録音のMac Book ProとプロセッシングのMac mini
右:evala氏自らマスターフェーダーを操作するQL5と音源再生のNUENDO




11日(土)・12日(日)
本番

Mac miniでプロセッシングに使用しているのはいつも通りPlogue Biduleです。

こちらが本番のセット




左上、evala氏からの11+2(サブウーファー)+2(ステージモニター)chを、EQだけ行いスピーカーへ送る左側のグループと、パラで録音へ送るグループ。
それとは別に右側ではAmbisonicsエンコードした後に3DXでHPLバイノーラル化して自分のモニター用、映像班への音声用、ステージモニター用として出力しています。
SPS200も別に3DXでHPLバイノーラル化してモニター。

evala作品の場合は僕の方で複雑な処理をしないのでシンプルです。



Rainはこのあと、国内3か所で公演を控えています。
異なる音響システムと空間に対し、どのように対応するのか。
また報告するかも知れません。



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