2020/03/07

立体音響システムの考え方 - 「Sea, See, She - まだ見ぬ君へ」編



「evalaが現在到達している次元は、他の追随を許さないところまで来ている」


リットーミュージック出版のサウンド&レコーディング・マガジン2020年4月号に、2020年1月24日~26日SPIRALホールで上映された、インビジブルシネマ「Sea, See, She - まだ見ぬ君へ」evala(See by Your Ears)のレポートが掲載されています。


サウンド&レコーディング・マガジン2020年4月号


記事にあるように、evala氏の立体音場を生成するための「空間の作曲力」は誰もまねの出来ない次元にあるのかも知れない。

先日、「4次元の映像に興味があるのですが4次元の音って作れるのですか?」と言う質問を受けた際、evala氏のサウンドはすでに4次元かもと思ったくらい。


では、そのサウンドを支える音響システムはどのようなものだったのか、解説したいと思います。


evala作品はそのサウンドに対しスピーカー数が驚くほど少ない。
少ないスピーカー数でも表現させる腕があるわけですが、それはどんなスピーカーシステムにおいても同じ様に出来るわけではありません。

それから、少ないと言いましたが私はそう思っていません。
無駄に多くないだけです。


スムースな音の繋がりを考えると、スピーカーは3m間隔に置いて...
と言うような考え方はチャンネルベースの考え方です。
はじめにこのスピーカーへ音を送り、徐々に次のスピーカーへ送る...

そうではなく、空間ベース(オブジェクト&シーンベースとでも言えば分かりやすいだろうか)での思考で取り組めば、おのずと音は繋がり立体音場を生みやすいシステムを構築できます。

空間ベースの考え方は、その音は空間のどこにありその音場はどんな空間なのかのイメージが先にあり、それを今あるスピーカー配置のフォーマットの全てのスピーカーを使ってどう鳴らすのかと言う考え方。

考え方はそうなのですが、具体的には空間ベースで最も優秀なフォーマットはAmbisonicsですし、現在はDAWにも標準で搭載されはじめていることを考えれば、まずAmbisonicsをきちんと鳴らせるスピーカーシステムを構築すること、そしてそれがチャンネルベースにおいてもきちんと鳴ることをまずは目指すことから始めるのが良いと思います。

要は「同じスピーカーを均等に配置する」というAmbisonicsを最も効果的に鳴らす条件と、チャンネルベースのフォーマットを両立すればよいわけです。



Sea, See, Sheではイメージされた立体音場の生成に向け、音響システムはどの様に構築されたのでしょうか。


まず、前提として、スパイラルで音響システムを構築したのは今回で3回目だと言うこと。
過去の経験は当然ながら大きな助けとなります。

2016年の「MARGINAL GONGS」森永泰弘では、スピーカー配置のデザインから3DサラウンドMixとその現場実装&調整を担当。
その際は、演目の内容から下層6ch(濃い青)上層6ch(薄い青)の12chに、上層の奥とステージ前、下層のステージ前に計3ch分のセンタースピーカーを加える配置にしていました。


MARGINAL GONGS スピーカー配置


ステージを含む全体(緑の点線)の8chキューブ配置(スピーカー1,2,5,6,7,8,11,12)と、客席だけ(青の点線)の8chキューブ配置(スピーカー3,4,5,6,9,10,11,12)とに分けて立体音場をMixし、例えばステージ内から音を聴かせたい場合や波が客席へ寄せて来る表現などは全体の8chキューブでMix、客席の上空を風がうねる様な表現は客席だけの8chキューブでMixすると言った具合です。

また、2019年のサイレント映画+立体音響コンサート「サタンジャワ」森永泰弘でもそうなのですが、スピーカーシステムをMeyer Soundに統一していました。
これはアーティストリクエストによるもの。
その現場で、当時最新モデルであったULTRA X-40を2台だけでしたが試しています。


一方で、2019年のインビジブルシネマ「Sea, See, She - まだ見ぬ君へ」プレ公演ライブパフォーマンスでは、スパイラルの4隅にスピーカーを配置するシンプルな4chスクエア配置のシステムでした。
これは前年日本科学未来館で行われたMUTEK.JPにて初披露された「Sea, See, She - まだ見ぬ君へ」ライブセットを元に構成されています。


Sea, See, She プレ公演ライブ スピーカー配置 


このスパイラルのライブで確認したのは、MUTEK.JPの未来館での音がスパイラルではどう変わるか? 4chだけでどの程度の立体感が出るのか?
サイドのサポートスピーカーの必要性など。



これらの経験を元に、スピーカーの選定と台数そして配置をevala氏と共に決めていきます。


まず8月のプレ公演終了後、すぐにサイドウォールをすべて暗幕で覆うことは決断。
これは出来る限り余分な反射を抑え、スピーカーの調整を行いやすくするためです。

スピーカーをMeyerに決めたのは、evala氏との過去の会話の中で「Meyerの音は良かった」と話していたこと。
アーティストの言う「良かった」は、自分の音を出しやすかったという意味です。
これはスピーカー選定において最も重要な情報となります。
アーティストが表現しやすい環境を用意することが、上質な立体音場生成への一番の近道です。


次に、立体音場生成においてスピーカーの発音点は出来る限り小さい方がよく、そして均一な音の放射が重要です。

ここ数年よく使用しているCODA D5-Cubeはその理由で、同軸2wayでありキューブ型なので水平と垂直の指向角が同じ、それにより8chキューブ配置にした際水平と垂直の音の繋がり方が均一となり一つの空間として音場を生成しやすく、それによりスムースな音像移動と没入感ある立体音場生成を可能にしています。

小型ながらパワーと音質のバランスが良く、自分のスタジオ、evala氏のスタジオ、最近ではRittor BaseもD5-Cubeを使用しています。

ちなみにICC無響室展示や「聴象発景」で使用している小型球型スピーカーは、Gallo AcousticのA’Divaというスピーカー。
球型であれば音の放射は全方位に均一なので、キューブ型スピーカー以上に繋がりが良いのはもちろん、パワーは無いが自然な音から電子音まで自然にカバーしてくれる良いスピーカーです。

しかし、大出力のPAスピーカーシステムでは、その目的からその様なスピーカーは現時点で存在しません。
その時点で立体音場生成を実現するにあたってマイナスです。

今回使用したMeyerのULTRAシリーズも水平と垂直では指向性が異なりますので、あとは会場のどこにどの向きで設置するかをよく考え、そのデメリットをカバーする事が重要となります。
それもスピーカーの性能が低ければ実現できません。
ポイントソースのスピーカーとしても定評のあるMeyerは、今回の作品には欠かせない選択でした。


通常のPAでのスピーカー指向角と配置は、サービスエリアを考えてのことが主となりますが、立体音響においては一つの音場を生成するための空間の繋がりを主として考えます。

そして決定したスピーカー配置がこちら。


Sea, See, She 本上映 スピーカー配置


いわゆる7.1.4chサラウンドフォーマットです。
(システムとしては7.4.4ch)

evala氏の代表シリーズ作である「Anechoic Sphere」では、下層4ch上層4chの8chキューブスピーカー配置が使われます。
真の立体音場が作りやすいフォーマット。
しかし今回は映画。
映画ではあくまでもL/C/Rがメインの制作が行われます。
それを念頭に入れつつも、これまでの立体音響作品に近いミックスを行うことを考慮し、Dolby Atmosの制作環境をイメージしたスピーカー配置としました。

没入感ある立体音場を生成するには、すべてのスピーカーを同じモデルにするのが理想。
しかしL/C/Rの間隔は他のchに比べて狭いので、指向角が70度でその分パワーのあるX-42を3台使用。
指向角が110度と広いX-40をサイド、リア、そしてトップに使用しました。


Meyer ULTRA X-42(上段)と900-LFC(下段)
小型ながらパワーがあり自然な音も出せる

サイドスピーカーのX-40
当然ですが客席とは出来るだけ離す

リアのX-40+900-LFCとリアトップのX-40
リアスピーカーと客席との距離も十分にとる事が重要


キューブ配置の考えの時は、ボトムのスピーカーの真上にトップのスピーカーを配置させます。
しかし今回は客席中心から見て等距離となる球面配置にするため、トップのスピーカーはボトムよりすべて内側に入った位置に設置。
その指向角と配置のバランスの方がスパイラル全体の繋がりを均一に出来ると考えたからです。
ディレイを物理的に少なくする意味もあります。


フロントスピーカーとトップフロントスピーカーの位置関係
フェイスは客席中央よりへ
側壁は暗幕ですべて覆い反射を抑えめに


ホール4隅に設置した4台の900-LFCには、超低域だけを任せています。
まず始めの調整では、X-42またはX-40と900-LFCとの組み合わせでフルレンジとなるよう調整したのですが、最終的にはX-42とX-40はフルレンジで鳴らし、900-LFCは主にLFE chを担当させていました。

この様にすると、トップのX-40を含めすべてのスピーカーの再生周波数レンジを揃えることが出来るので、立体音場生成にとっては良い条件となります。

しかし、そうなるとX-42, 40だけでは低域のパワーは十分ではありません。
通常はサブウーファーでパワーある低域を気持ちよく鳴らそうと考えるのですが、自然音を没入感ある立体音場として生成するには、ライブの様に低域をタイトに効かせるよりも、自然な柔らかさを持った音で鳴らす事が重要だったりします。
音楽的な再生と環境音再生とを高いレベルで両立させるには、ミックスからシステムまでトータルに考える必要があり、その辺りのプランニングは常に課題となります。


今回会場のシステムプランと同じスピーカー配置をevala氏のSee by Your Earsスタジオにも作り、スタジオで作ったミックスバランスがスパイラルでも崩れないよう配慮しました。

マルチチャンネルの作品では、「会場でどう聴こえるか」が分からないと事前に作業を進めることが出来ません。
スタジオで5.1chで作り会場でそのまま鳴らせばOK、と言った雑な考えは有り得ません。

会場での調整時間は短いものです。
広さもスピーカーも空間も違う会場で、事前にスタジオミックスした音がそのまま鳴ることは無いです。
最終的には、厳密に音は違えど作品の表現は同じに仕上げないといけない。
スタジオでミックスしていた音が100%とするなら、会場ですぐ80%で鳴ってくれたら、あと20%をどれだけ近づけるか、あるいはその会場ならではの音にするかをアーティストが仕上げていけばよいのですが、会場に持ち込んでもし50%の音だったら...

スタジオに同じスピーカー配置を作るのは大変ですが、チャンネル数が無駄に多くなければそれも可能となります。
また、それが7.1.4のフォーマットであれば、サラウンド対応スタジオも無いわけではありません。

スピーカーが組めない場合は、HPLプロセッシングによってヘッドフォンを使ったバイノーラルモニタリングでの制作が有効です。


すばらしい立体音響作品を目指すためにエンジニアがしなければならない事、
アーティストが自身の音を出しやすくミックスしやすい環境を会場にもスタジオにも用意する。
その対策と準備が一番重要です。